役立たず

世の中(私のまわりの小さい世界)は嘆かわしくも、立派な/意義ある/価値のあるものばかり在るように見える。
何でもないこと、お遊び・戯れ、ガラクタ、落書き、……。みんな無意味・無価値と言われてしまう。
ただ在ることに対して、意味や価値を問うことはできても、それが何なのだろうか。自然(じねん)として在る。つまり、尊くとも卑しいとも、意義/意味/価値の有る無しによらず、何者によっても判断されずとも、在る。価値判断など、それこそ「無意味」なのだ。
有用なものだけに、存在価値を認める。ただ在るということのみ認めれば良いのに、意味や意義を探してしまう。なんと窮屈で退屈な世界ではないか。