誰のものか

私の感情は、誰ものか。
私が選び、私が作り出した、という感覚すら作られたのではないか。
だから「生暖かく」見守ったり、マイナーに走ったりするのではないか。


マイナーなものがメジャーになるのを、悲しいと思うのは、流れの中で感情さえも作り出されることを知っているからだ。
「私」の感情が「誰か」の、「みんな」の感情に回収されてしまうから。