文章釈義 「真性右翼」と「理不尽な生」解釈編

想定読者と私

一通り読んだところ、わかったような気はしたが、実のところさっぱりわからなかった。
というより、“真性右翼”や“蓮實重彦の言う「罵倒する女」と「傷のある男」”などが何の前提も無く出てくるからだ。
また「具体的近接性から生じる感染(ミメーシス)」などの言葉も、具体的説明に欠けると言える。
そんな問題はありつつも、中心的な論理(私が理解した限り)については、なんとか追えただろう。

主題の要約

自らの痛みの突き刺さる悲劇を描いた作品、それは「理不尽な生」を描いた作品だ。
父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』で描かれる悲劇は、「悲惨な死」ではなく「理不尽な生」だ。
「理不尽な生」とは世が摂理として強いる生である。映画では、個々人の内発性と無関係に操作された「理不尽な生」が、一部の人為によってもたらされる近代社会の在り方を描き出している。
国家の優越性や国家へ報いることが大義とするような「逃避的信念」を取るのでなければ、「理不尽な生」を生きるしか無い。
「理不尽な生」を生きるものだけが、悲劇を見通せる。悲劇を観察するものだけが、革命家たることができるのだ。

主題の拡散

上に挙げたものは、私が理解した範囲での中心的論理である。
これとは別に、私が拾いきれなかったり、または中心的でないと判断した主張も読み取れる。

日本のサブカルにおける「痛みの欠落」と「死にオチ」の氾濫

この記事は、てっきりこの見出しのように「日本のサブカル」を取りあげるものと思ったのですが、実のところは話の枕にすぎなかったようです。
冒頭部分の要旨は、「痛みの欠落」を示す日本のサブカルを挙げて、それでは「痛み」とは、それをもたらす「悲劇」とは何か、という疑問を呈することでしょう。

つづく