「萌え」を共有することは可能か

はしがき:路上萌について

あなたは、路上で「萌えーっ!」と叫んでいる人に共感するだろうか。
否、それは無理だ。無視するか、即刻立ち去るか、私ならそうする。
ブログなり何なりで「好きなものを紹介する」という行為は、これと似通ったところがある。
しかし、この行為の目的は、人から無視されたり遠ざけられたりすることではないことは明白である。では、路上で「萌えーっ!」と叫ぶ行為(以下、路上萌)は何のために行われるのか。
この疑問について、路上萌の目的と方法と題しアイマス動画紹介を例に記す。

路上萌の目的

私を含め、多くの人はこう思っているだろう。
「こんなに素晴らしいものを知ってもらいたい」「もっと多くの人と分かち合いたい」
後から、気軽に、紹介されたものを楽しめる。これぞデジタルメディアの醍醐味ですね。
とは言うものの、周りから見たらただの路上萌だったなんてことになっていないだろうか。

路上萌の方法

あふるる熱情にほだされて、筆の運びに任せて記事をあげる。
それが悪いと申しませんが、私はこんな方向を目指しています。

萌の追体験

「こんなに素晴らしいもの」という思いが高まったとき、あなたについてこれる人がいますか。
あなたは、今、最高点にいるのです。山の頂上から見る景色が素晴らしくても、いきなり頂上に誰かを連れて行くのは難しいことでしょう。
節目節目に出会って、今あなたの立つ場所への標となった作品があるはずです。
必ずしも順を追う必要はありませんが、一足飛びに自分のいる場所へ連れて行くことはできません。

間を置く

いくつもいくつも紹介したい。それはごもっとも。
でも、紹介された方はたまりません。
疲れさせたり、作品のおもしろさを体験する前に次が出てきてしまいます。
ジャンル分けや、作品のポイント解説は、何も衒学めいた行いではありません。
おもしろさに気付いてもらうきっかけです。「萌えーっ!」だけではわからないのです。
そうすれば次第に、あなたのスピードについてこれる人が出てくるのではないでしょうか。

あとがき

これは、この「あふいねこのにき」におけるアイマス動画紹介の立場を自戒を込めて記したものである。
というか、堅い書き出しにしたら釣られて収拾がつかなくなってしまったものである。