データとお祭りと

この前の「愛M@S」データ、意外にも好評をいただいているようです。少しでも、あのお祭りの盛り上がりに関われたと嬉しく思っております。

あそこで言いたかったことを書いてしまうのも野暮かと思いますが、なによりも「あぁ、24時間を共に過ごすと望みながら力尽きていった、歴戦の視聴者達の姿が見えるようではありませんか。」こういうことが一番言いたかったことです。

つまりどういうことかと問われれば、あのお祭りの喧噪を楽しかったと述懐できればそれも良し。まだ見ぬ、ほとんどは永久に見(まみ)えることのない、けれど同じお祭りに一緒に参加していた者達に思いをはせることが出来ればなお良し。ということです。

私だけでも、あまつさえ誰かがまた盛り上がりを再確認できて、印象深さを記録できたら、それに超したことはないという気持ちです。

その意味では、データ云々というものはおまけに過ぎないのです。取れるから取った、ぐらいのものです。

データベースが出来るまで

さてさて、いつもニコニコ動画からアイドルマスターの情報を集計しては、グラフやら何やらを作っております私が、ちょっとばかり何でそんなことをしているか書いてみます。

もともとは、perlの戯れに過ぎなかったのです。

誰かがぼそっとつぶやいた、○○なデータベースあったらいいのに、ならば戯れに作ってみましょう。それが始まり。

「できたよ」と、今度は私がつぶやいて最初の「データ」は世に放たれたのでした。

そして、ああしたらどう?こうしたらどう?と、いつのまにか多くの人が関わって出来たのが今のデータベースです。

お気づきの方もいらっしゃるかと思われますが、最初からデータの中身には、特に私自身の思いや考えはなかったのです。

その意味では、誰かに使っていただいて、それがお役に立つのであれば満足です。ただ、今は私自身がデータを使っています。これまで書いたとおり、何も考えていない、データは提供したので解釈は貴方次第、というものです。むしろ私自身が何の解釈をしようともしていなかった。

DLC祭・誕生祭と「愛M@S」の違い

気持ちが大きく変化したのは「愛M@S」以降です。グラフという目に見える形でデータを示すのは、ある意味暴力的といえるほど、「直接的な形」をとっています。

「愛M@S」のデータではよい方向に力を発揮したものだと思っていますが、良くない方向にも力を発揮しうるわけです。

「愛M@S」の何がよい作用をもたらしたか、というと、何よりも運営の皆様の告知と誘導が素晴らしかったことです。あのお祭りで、どこに作品が埋もれてなんて言えるのでしょうか。タグから、前の番組枠から、中継動画から、告知ページから、全ての番組に考えつく限りの道筋が用意されているのです。

だからこそ、お祭りの総体としての盛り上がりや視聴者に思いを巡らせることが出来るのです。

一方、今までのDLCや誕生祭でのデータ公表はどうでしょうか。

大量に上がるノーマルPV、同じ楽曲、衣装の動画、どう考えても埋もれやすい。古い動画や、直接関係ない動画にも付く「誕生祭」タグ。新作を全て追おうにも、一筋縄ではいきません。

だからそこに、全体を眺めることの意味はあるのだろうか。それは単なる傍観ではないだろうか。お祭りを盛り下げてしまっているのではないだろうか。そんな疑問がむくむくと湧いてきました。

今後について

正確なデータを取ることは、手段に過ぎません。

埋もれたものをすくい上げられれば、だれかの道標になれれば幸いです。せっかくだから、お祭りを盛り上げる試みをしてみるつもり。